今日の午後、藤井氏と共にイロイロノ地図の記録撮影を行いました。
マージ&ホープの商品とその主旨に我々が共感した事から始まった「イロイロノ地図」ですが。
岐阜駅前という公共空間の中で絶大なインパクトを持って存在しています。
なぜこの絵はこんなにも目立つのでしょう、もちろん大きいです。
しかし、大きな看板は他にもあります、この絵の放つ異質感は他の事に由来していると僕は思っています。
JR岐阜駅前の空間は非常に近代的に設計され、整理、整頓された空間、ルールのある空間、統一意識のもとで作られた空間というイメージを僕は持っています。
それを裏付けるように、おじいさんから聞いた話では、この空間は戦争の際全て焼き払われた跡に出来たものだそうです、(もちろん駅自体は新しいのですが)名古屋の栄にも同じことがいえるのですが、戦争後の焼け野原から都市を再生させるときその空間は、異常なスピードで構築されています、自然発生した街はゆっくりした時間の中でそこかしこに突起物を持ち、整理しきれない回答のない問題を内包しているものですが。異常なスピードで構築された街は、そのスピードの中で河の中を河口まで流れてきた石のようにツルツルした引っ掛かりのない街になってしまいます。
硬質でツルツルした現代都市には、人の痕跡が非常に残りにくいのではないでしょうか。
特に、日本において公共空間は一般市民にとっての一種のデッドスペースになっていて最も硬質かつ最もツルツルな殻で覆われている気がするのです。
イロイロノ地図はその名のとうり色々の地図です、不織布の上に書かれた地図は、視点の距離も場所も関係なく、人の書いた上に書かれたり、続きが継ぎ足されたり、思い思いの地図がルールなくつながり、媒体(不織布)という最低限のつながりだけを頼りに存在しています、色々の地図はルールを持たず全体意識を持たずそこに集積した色々の結果なのです。
この絵が今、岐阜駅前の硬質でツルツルした空間になんとか引っ掛かっているのです、吹けば滑り落ちる(本作は安全な状態で展示しています、あくまで意味としての比喩ですので御心配なく)まだ、へばりつくには至っていない。
この状況、こそがこの絵の面白いところではないでしょうか、まぎれもない人間の痕跡が都市という硬質なものに引っ掛かっている。例えば、鏡の球体の表面に鮮やかな血痕が残っているような。
今夜この絵を見ていると、現代の都市がどれだけ都市と人を対立項においているのかはっきり見えた気がしました。
あとわずかでこの血痕も拭き取られてしまいます、残り2日のGIFU ART CAMP20011是非見に来て下さいね。
ベースキャンプで一人ちょっと寂しさ余った文章になってしまいました。
チョット街にでも出てみようかな、フィールドワークと偽って。
補足:マージ&ホープはシティー・タワー431Fマージにて販売されているブランド、大垣特別支援学校の生徒が制作した商品を販売しています。
返信削除このブランドは、支援学校の生徒のもの作りの成果を評価してもらう事で、生徒達の卒業後の就職につなげ、生徒の自立した社会生活を確保するために作られたブランドです。
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