僕は今もTowering skyの製作を続けています。
先日お話した際、古い写真が先端になるという事について質問を頂いた際に、僕の答えがまずかったと反省し、筆を取った次第です。いつもの事ながら作品から一歩引く事が遅れていると反省しております、アトリエを持たず制作現場と発表現場が同じという事が起こす典型的な弊害ですね。
それで、話を戻しますが、「古い写真が先端になる事」なのですが、僕は今回の制作において正しい造形だったと思っています。
先日もお話した通り、人間を人間たらしめた原点行為「見上げる」は元々非常に小さく、少なく、先端的なものです。しかし、その行為は精神の核を作り、他の物を巻き上げながらその裾野を広げて行く。つまり現代とは、非常に広大な裾野であり核たる精神は押し上げられ続け、
成層圏を破り、宇宙の彼方へ向かって伸びて行く。人間の視覚という感覚だけが宇宙の遠き彼方まで伸びている事は非常に象徴的な事ではないでしょうか?
つまり、古く、小さな原点を中心に全てが巻き込まれて螺旋状に伸びているという造形、そして伸びて行くなかで、限界が訪れ倒壊する。しかし、再び中心点はそのままに塔は立てられる。そこには、構築、倒壊、再生、という輪廻的な美しさがある、この延々巡り巡る事の美しさこそ本当の人間の核たる物ではないのか、などと考えています。
しかし、僕の本当に目指したものは、これらのものからの枝分かれなのですが。
この手紙を書きながら、完全無宗教の僕ですが、輪廻なんて言葉を使ってしまうと仏教思想と非常にリンクしている事を意識しました、今回は制作の段階から非常に密教修行的なところがあったので、都市の真ん中での修行、、、。
まだ、実現させてないプランで「ある修行者の夢」と言うのがあったなと古いアイデア帳を見直しております。
お忙しい毎日でしょうがお時間あるときにまた、お話できればと思います。
PS、今日は倒壊した塔を再生させるため、死の時間たる解体から再生へのアクションを行います。こちらは梅の花も見頃ですので「東風吹かばにほひをこせよ梅花 主なしとて春を忘るな」といったところで、お二人の御健康を願っております。
福岡寛之
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